ニシン
1970年代に流行った「石狩挽歌」という歌に「あれからニシンはどこへ言ったやら」という一節がありますが、冬の荒海でのニシン漁を歌った「ソーラン節」の威勢の良さと比べますと寂しさが漂います。
その昔、ニシン経済とまで言われた北海道では、漁が始まる頃になると鉄砲打ちや子供が大声で遊ぶことを禁じたほど、ニシンに気をつかっていました。昔の日本経済はお米で成り立っていましたが、こと北海道にあっては「ニシンはお米であって、魚には非ず」としてニシン(鰊:東で多く獲れる魚という意)を漢字で「鯡」と書くようになったとも言われています。
当地ではニシン漁で財を成し「ニシン御殿」が建ち並ぶほど活況でしたが、1950年代後半になるとバッタリと獲れなくなり、「幻の魚」とまで呼ばれるほど水揚げが激減していました。その様子が「石狩挽歌」の歌詞にもあらわれています。
それがここ数年は放流事業などが功を奏し水揚げが増えつつあり、今年のニシン漁は1月10日に始まったばかりですが、漁獲量はすでに100トンを超え、昨年の年間漁獲量の8割を突破しました。放流後最高だった07年の漁獲量225トンを上回る勢いだそうです。
ニシンは昔「カドイワシ」と言い、塩蔵した卵は「かどの子」と呼ばれ、それが現在の「数の子」。漁獲量の激減で「黄色いダイヤ」の異名を持つようになった数の子は日本のお正月に欠かせない食材です。また、日持ちしないニシンを流通のため干物にした「身欠きニシン」も北国や山間部では昔は貴重な食材で、産地から遠く離れた京都では蕎麦の具や煮物に使われ、伝統的な京料理の一つとなっています。
ニシンは別名「春告げ魚」。燃油高騰やサケの不漁など厳しい状況が続いていましたが、久しぶりに豊漁となった銀鱗に北の漁港が沸いているそうです。
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