江戸の暦・暦法
現在日本を始め、多くの国で使われている暦は、1582年に制定されたグレゴリオ暦で、日本では明治六年(1873)からこの暦法を採用しましたが、それ以前は旧暦と言われる太陰太陽暦を使っていました。
旧暦の一年は354~355日です。地球が太陽の回りを一回りするのが、365.2422日ですから、そのままだと暦と季節がずれてしまうので、それを補正するために、平均32~33ヶ月ごとに閏月(うるうづき)と言うものを設けます。たとえば、三月に閏月がある年は、一月、二月、三月、閏三月(うるうさんがつ)、四月・・と一年を13ヶ月にするのです。大の月は30日、小の月は29日とし、大の月と小の月の組み合わせは毎年異なります。ですから、江戸時代は「誕生日」と言う概念がありませんでした。現代閏年の2月29日に生まれた人は、誕生日が4年に一回しか来ませんが、江戸時代、閏月の30日に生まれた人は、下手をすると一生自分の誕生日に巡り会えないこともありました。そのため、年齢の数え方は、生まれた時が一歳、新年(一月)を迎えると、全員いっしょに一歳年を取る、数え年と言う数え方です。大晦日に生まれた赤ちゃんは、生まれて一歳、翌日新年を迎えるので二歳と、生後二日目にして二歳になるのです。
ではなぜ江戸ではこの様な暦を採用したかと言うと、月の初めの日(朔日)は月が新月(一番細い月)、毎月15日が満月となるように設定していたのです。つまり7月15日は毎年満月ですから、月明かりの下で盆踊りもできたし、月末から月初めの夜は暗いから外出するなら提灯が必要と判断できるし、月の初めと15日は、潮の満ち干が最大になるので、暦のリズムがそのまま生活のリズムとなって、江戸人達はこの暦法の方が暮らしやすかったのです。
そして旧暦には、現在の月曜、火曜と言った曜日の概念がありませんので、カレンダーの最大の役目は、その月が30日の大の月か、29日の小の月かを知るためのものでした。月末〆の商店などでは、その月が30日まであるか、29日までかと言う事はかなり重要なのです。ですから、当時はこの様なカレンダーを大小暦(だいしょうごよみ)、略して大小と呼びました。
江戸人たちは、年末になるとオリジナルの大小暦を作って、新年になると知り合いに配ると言う、現在の年賀状の様な感覚で大小暦を作っていました。現在でも大小暦専門のコレクターや研究家がいて、中には大小暦には間違いないのですが、専門家が見ても、どうやって月の大小を読みとるのか解明されていないものもあるそうです。
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