つぶやき

知 性

 敬愛するNさんが、昨今の週刊誌報道などに関して、「私は『知性というのは思ったことを極限までに突き進めないことだ』という言葉が好きだ」との発言をされたそうです。
 
 蓋し名言。深いです。孔子は「怪力乱神を語らず」と云いましたが、中庸の概念やアリストテレスの哲学も、或る意味同じ辺りのことを云っているでしょうか。
 
 常に両サイドを見ること、そして節度を知ることは、とても大切です。世の中の様々なボラティリティや、表面上の感情の起伏を高くする傾向が強いこの時代・時期に、このようなバランス感覚を忘れないようにしたいと思います。

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風邪防衛

 世間は風邪だらけで、移動中も人に会っても、とにかくあの手この手で風邪防衛をして、免疫力も高めるように(気持ちの問題かも知れませんが)手を打ち、これもとにかく様々な対応をしています。仕事は、これこそ正に、次から次に新しい状況が生まれて飛んでくるので、せっせせっせと対応を休みなしにしています。日々是れ、一日中、ダイナミックな対応の連続です。

 脳には可塑性があり(英語ではこれを plastic と云います)、筋肉と同じで、継続的に使えば使うほど鍛えられます。次から次に発生する状況に、継続的にダイナミックに対応を考え実行する以外に、対応力を高めることは出来ないでしょう。しかし、考えるのは脳でも、脳はカラダと云う筐体の上に乗っかっていますから、カラダの調子を万全にしておかないと性能が出ません。電源や冷却装置などがしっかりしてないと、CPUもGPUも性能を出せないのと一緒です。こうして健康管理の重要性にまた帰着するのです。

 こんなことを書いていると、私が体調を崩しているのではないかと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、そうではないです。健康管理の重要性を再認識しながら、日々対応をして、体調はあるべきところに維持しています。

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3D横断歩道

 横断歩道を、白色の他に灰色なども使ってトリックアートのように3Dに見えるようにして書くと、車は思わずスピードを落とし、事故が激減するとのこと。元々インドのデリーで試されたようですが、アイスランドでも試されたことがあるようです。

 確かに宙に浮くように見える横断歩道が目の前に出てくると、思わずブレーキを踏みそうです。但し、トリックアートなのでそのように見える向きは決まっていて、横や反対から見ても3Dには見えません。それに、ドキッとし過ぎて急ブレーキを踏むと、それも却って危険にも思えます。更に、何回かそこを通ると慣れてしまうかも知れません。然しそれでも尚、これはかなり活用範囲のありそうなナイスアイデアだと思います。コストも安いですし。

 道路に限らず、色々な所で活用可能な気もします。オフィスの壁や天井も殺風景だし、何かこのアイデアを転用出来るかなぁ。あ、オフィスよりも、学校の教室に何か使えそうですね。アートの効用は、もっともっと広い分野で考えられるべきだと思いました。

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大 雪

 御存知のように、東京を含めた広い地域で昨日は大雪となり、東京は雪に慣れていない為に、それなりの混乱を引き起こしました。私も雪のせいで、会う予定がキャンセルされたり、或いは思い掛けない触れあいがあったりと、ささやかではありますが、雪の影響を受けました。

 雪は、ちょっとだけ温度が高ければ水です。「 富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変りはないじゃなし とけて流れりゃ皆同じ」とは有名なお座敷小唄のフレーズですが、正にその通りです。しかしその水が、雪への変化を通して、様々な大きな影響を及ぼす。

 水は流動性、お金も流動性と呼ばれます。お金も水のようにその状態を変えることがあるでしょうか?一般にはそうは考えられていませんが、中央銀行による量的緩和や、或いは伝統的な金利政策は、お金の相対的価値の変化を通して、状態を変える行為だとも云えるかも知れません。仮想通貨の誕生も、広い意味でのお金の状態を変えているかも知れません。

 お金の状態が変われば、様々な影響が出ます。お金の流れを見ることの中には、このお金の状態の変化を見ることも含まれるでしょう。今年は色々な変化が起きそうです。しっかりと見ていきたいと思います。

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行徳塩

 昨日(20日)のブログで行徳塩のことが書かれていますが、その模様が書かれた文献がありましたのでご紹介します。

 江戸の天保年間(1830~44)に刊行された、江戸とその近辺の観光地を網羅した「江戸名所図絵」と言う本に、行徳塩の事が書かれておりますので、解説は付けますが、現代語訳せず、原文のままでお届けします(江戸言葉の文脈を堪能して下さい)。

 『塩濱(現・千葉県市川市、江戸川東岸の海岸) 同所海濱十八箇村に渉(わた)れりと云、風光幽趣(ふうこうゆうしゅ=奥ゆかしい、静かな眺め)あり。土人(どじん=その土地に生れ住む人)云、此塩濱の権輿(けんよ=はじまり)は最久しく(もっともひさしく=とても古く)其始をしらずといへり。然に天正十八年(1590)関東御入国(徳川家康江戸入り)の後、南総東金(現・千葉県東金市)へ御遊猟(ごゆうりょう=鷹狩り)の頃、此塩濱を見そなはせられ、船橋御殿(現・千葉県船橋市に設けた将軍用宿舎)へ塩焼(製塩業)の賎(しず=貧しい)の男を召し、製作の事を具(つぶさ)に聞き召され、御感悦(ごかんえつ=感じ入ってよろこぶ)のあまり御金若干(そこばく=いくらか)を賜り、猶(なお)末永く塩竈(しおかま)の煙絶ず営(いとなみ)て天が下の宝とすべき旨欽命(きんめい=天子の命令)ありしより・・・(中略)事跡合考(じせきがっこう=故事について記した本)に云、此地に塩を焼事(やくこと)は凡(およそ)一千有余年にあまれりと。又同書に、天正十八年御入国の後、日あらず此行徳の塩濱への船路を開かせらる々由(よし)みゆ、今の小名木川(当時の東両国から行徳に至る運河)是なり。此地の塩鍋(しおなべ=塩の事)は其製地に超(こえ)堅強(けんきょう=かたくてつよい)にして保(たもつ)事久しとぞ、東八州(かんはっしゅう=相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野=現代の神奈川・東京・千葉・茨城・群馬・栃木)悉(ことごと)く是を用ひて食料の用とす。』とあります、

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江戸の塩事情

 塩は人間が生きて行く上で欠かせない養分です。日本は四方を海に囲まれていますので、海辺ならどこでも塩を作れる様な気がしますが、海水の塩分濃度は、わずか3.4パーセント程度です。気温が高く乾燥した土地ならば、海水を浅い器に入れて日に当てておけば、塩が出来ます。これは「天日製塩」と言う一番簡単な塩の製造法なのですが、日本の様に、雨が多く湿度の高い地域には向きません。そこで、海水を釜などで煮詰める「素水(そすい)製塩法」が開発され、さらに、干した海藻に海水を何度もかけて、濃度の濃い塩水を作って、それを煮詰める様になります。

 そして、製塩を行う「塩浜」は、ふたつの種類があります。一つは、潮の干満差が大きい地域で行われるもので、満潮時に海水を塩田(えんでん)と呼ばれる砂浜に引き込み、干潮になると、濃い塩分が残った砂を集め、さらに海水を掛けて煮詰める、「入浜(いりはま)式」と呼ばれる方法で、もう一つは、潮の干満差が少ない土地で行われるもので、満潮時に、海水を人力で塩田まで汲み上げるもので、こちらは「揚浜(あげはま)式」と呼ばれます。江戸期は、日本産の塩の大部分が、入浜式で作られ、特に瀬戸内海で大規模に行われました。また、江戸の町の近くですと、現在の東京ディズニーランドとディズニーシーがある辺り、現在の千葉県の浦安市から市川市行徳にかけて広がる塩田が有名でした。そのため、現代でもその近辺に、塩浜、塩焼、本塩(ほんしお)なんて地名が残っております。

 徳川幕府は、江戸近くの行徳での製塩を奨励し、最盛期には、三百七十ヘクタールの塩田が浜辺に広がっておりました。これは、東京ディズニーランドが五十一ヘクタール、ディズニーシーが四十九ヘクタールと言いますから、現代の東京ディズニーランドとディズニーシーを併せた面積の、四倍近い塩田が、江戸期のあの辺りの浜辺一帯に広がっていた事になり、そこで捕れた塩を、江戸では「行徳塩」と呼びました。

 そして、当時の塩は、お話ししている通り、塩田で作られますので、吸湿性の苦汁(にがり=塩化マグネシウム)を多量に含みます。そのため、常に湿気があり、湿度の高い夏場や、梅雨時には塩がドロドロになる事もあります。これを「荒塩(あらじお)」と呼び、その荒塩を火にかけて炙り、苦汁を取り除いたものが、「焼塩」と言うものになります。そして、その焼塩を売り歩くのは、多くはしがないお爺さんです。このお爺さん達は、個人営業ではなく、大手の塩店と契約をしていて、塩店から、塩を仕入れるだけではなく、籠桶、塩を量る升、天秤棒に至るまでレンタルで借り、商売が終わると、その日の売り上げから、天秤棒などのレンタル料金を差し引かれたものが、自分の収入になりますので、貧しい暮らしの方が多かったようです。

 上記文中の「行徳塩」についての文献は明日(21日)のブログにてご紹介しますので、ご興味のある方はお読みくだされば幸いです。

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祝 日

 今日は1月15日。2000年に1月の第二月曜日に変わるまでは成人の日だった日です。

 固定の日の方が由緒が正しいようでいいなぁとも感じますが、そもそも成人の日は、昭和21年に今の埼玉県蕨市が戦後の暗めの雰囲気の中で若者に希望を持たせようと「青年祭」なるものを企画・実行し、それが瞬く間に全国に拡がり、その影響を受けて政府が新しく出来た祝日法で「成人の日」として昭和24年から制定したとのことなので、由緒はあるが、戦後に新造されたものです。

 我が国の祝日はその後増え続け、今では世界でも最も祝日の多い国の一つとなっています。

 一方で働き方も休暇の過ごし方も、この数十年で大きく変わってきたので、祝日は多ければいいというものでもなくなってきているでしょう。天皇陛下もあと15ヶ月で変わられることだし、この辺りで祝日も一度考え方を整理した方がいいのではないでしょうか?。

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クレオパトラ

 古今東西、美人のチャンピオンと言えば、わが国では小野小町、お隣の中国では楊貴妃、エジプトではクレオパトラと相場が決まっております。エジプトの区役所へ彼女の戸籍謄本を取り寄せて見ますると、生まれたのはエジプトの大家で、プトレマイオス王朝と言う、ストレプトマイシンの兄弟分みたいな家柄。十七の時、父の遺言で結婚、その相手がなんとぐーんと年下のたった十歳の弟。実は親族同志の結婚と言うのは、エジプトの王家の習慣で、つまり姉と弟共同で国を治める事になっているんだそうです。しかし、花嫁は十七の娘盛り、花婿はたったの十歳、やれ忍者ごっこだ、やれ怪獣ごっこだと遊びまわっている年頃。これじゃクレオパトラも困ったでしょうな。

 クレオパトラ、こんなハナタレ小僧にかかり合っているよりも、何とか政権をわが手に収めたいと、お家騒動を起こしたが、戦い時に利あらず、クレオパトラはアラビヤ国境に追放の憂き目を見る。月日は流れて三年、ここに登場したのが、ローマの英雄、ジュリアス・シーザー。ローマ共和国の独裁者となった彼は、さらにエジプトへと足を延ばし、首都アレクサンドリアへやって来る。ある晩、一人の男が、シーザーの陣営に大きな包みを担いでやって来た。シーザーが開いて見ると、中から躍り出たのは一人の絶世の美女。シーザー「そ、そ、そなたは、な、な、何者じゃ?」
 
クレオパトラ「クレオパトラよ。オジサマ、どうぞこの生きた贈り物をお受け遊ばして。」
シ「おお、クレオパトラ。それでは、このシーザーに、そなたのすべてをクレオパトラか。」

 英雄シーザーも、クレオパトラの魅力の前には一たまりもない。シーザーと言う強力スポンサーをバックに、クレオパトラはここに事実上エジプトの王女となりました。半年ほどでシーザーはローマへ帰り、クレオパトラをローマへ招きまして、二人の甘い生活が続きますが、月に叢雲、花に風、オセンにキャラメル、アンパンにのしいか、シーザーはクーデターを起こした反対派の凶刃に倒れ、泣く泣くクレオパトラは、故国エジプトに帰ります。

 次に登場してくるのが、アントニゥスと言う男。元シーザーの騎兵隊長で、剛力無双のバンカラ勇士。忽ち亡君シーザーの暗殺者を攻め滅ぼして、余勢をかってローマ周辺の国々を攻略。シーザーの意志を継いだのだから、ついでにクレオパトラの方も継いでやろうと、遠征先のトルコからウナ電を打って、クレオパトラを呼びつける。アントニゥスがクレオパトラを一目見て、コロリと参る。アントニゥスがコロリでアンコロみたいに甘くなった。すっかりクレオパトラに魂を奪われたアントニゥス将軍、エジプトに住民登録を致しまして、クレオパトラとの夢の様な毎日に、ローマの事なぞ忘れておりましたが、ローマ(そうは)問屋が卸さない。アントニゥスのいない間に、メキメキ売り出してきた第三の男、これぞシーザーの養子のオクタヴィアヌス。アントニゥスに喧嘩状を送る。両軍相対しましたのが、ギリシャの北西、アクチュウムの湾内。いざ決戦と言う時に、クレオパトラの率いる一艦隊が退却し始めた。アントニゥス、すっかり心細くなって、命からがら首都アレクサンドリアへと退却。オクタヴィアヌスの軍勢はなおも進撃して参ります。

伝令「申し上げます、クレオパトラ様が、ご先祖の墓所でみずからお命を絶たれたそうであります。」
アントニゥス「あに、クレオパトラが自殺?そんだらばぁ、オラも生きてても仕方ねぇ、オラもおっ死ぬべぇ。」
 
 武人は武人らしく、短剣をわが胸へ突き立てました。
伝「申し上げます。クレオパトラ様が自殺なさったと言うのはデマで、まだ生きていらっしゃるそうで。」
 
ア「あに!そんなら早く言えや。オラぁ早まった事をした。あれの死亡証明書を見てからにすりゃ良かっただ。ガクン。」
 
 女に迷い、デマに迷い、あわれ風雲児アントニゥスは、一巻の終わり。
 
 肝心のクレオパトラは囚われの身となりましたが、わらわはエジプトの女王なり、エジプトの主権を保たねばならぬ、そのためにも、直ちにオクタヴィアヌスに乗り換えねばならぬ。オクタヴィアヌスの心をとろかそうとしましたが、なにしろこの将軍、ウルトラ級の堅物、石部金吉に鎧を着せて、コンクリートで固めた様な男。クレオパトラの色香におえど、散りぬるを、となりました。もはやこれまでとあきらめたクレオパトラ、捕虜となってローマへ連れ去られるのは女王のプライドがゆるさない。潔く自殺しようと、一匹の毒蛇を我が胸にあてがいます。放漫な両の乳房を見た毒蛇、フラフラっとなって、しばし気絶。私も蛇になりたかった。・・・花の命は短くて、亭主の数のみ多かりき。蛇によって命を絶ったクレオパトラ、これが本当の身(巳)の終わりでございましょう。

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百人一首

 100均が好きで、よく近所の「ダ〇ソー」へ買い出しに行きます。と言うか、貧乏ですので、身の回りの物は、なるべく100均で買い揃える様にしているのですが・・・100均の子供の玩具売り場には、ちゃんと「いろはカルタ(犬棒カルタ)」に並んで、「百人一首」のカルタも売っています。
 
 お正月気分が抜けない内に、皆さま、「百人一首」を100均で買って来て、その歌のすばらしい世界に浸るのも、よろしいのではないでしょうか。

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入試問題

 大阪大学の去年の入試問題に誤りがあったとのこと。物理の問題ですが、間違っているとの指摘は去年の夏から行われていたにも関わらず、認めるのが年明けになったということは、詳しい経緯を知らないので何とも断定的に云えませんが、入試のミスと云うよりも、間違いを認めなかった姿勢に問題があり得ると思います。
 
 学校の先生が誤りを認めることは中々抵抗の強いことでしょう。しかしこの手のことは若い人の将来に影響を及ぼしかねないので、その対応は極めて重要な意味を持ちます。

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