« 沸騰都市(1) | トップページ | サヨリ »

沸騰都市(2)

 三菱が「丸の内の大家」となったのは明治になってすぐのことです。
明治維新後しばらくは陸軍省の直轄地であった「丸の内」が売りに出されたのですが、その新聞公告を出張先のロンドンで見た三菱の荘田平五郎が、当時の三菱の総帥岩崎弥之助にあてた「マルノウチカイトラレルベシ」という一通の電報がビジネス街「丸の内」誕生のきっかけです。

 「我が国の事業は発展したが、依然として執務ぶりは旧態依然である。速やかに西洋式のオフィス・ストリートを建設することが必要・急務」と荘田は語り、三菱は約35万平方メートルを128万円で払い下げを受けました。この額は当時の東京市の予算の約3倍にも匹敵します。

 ちなみに三菱の大番頭であった荘田は、東京海上火災、日本郵船、明治生命、三菱銀行、三菱倉庫、三菱地所、キリンビール、日本勧業銀行、帝国劇場等、数多くの設立に関わっています。

 福沢諭吉の娘婿で、相場師から電力王となった福沢桃介は、「数理と経済にかけて、天才的頭脳と、これを実行する勇気をもっていた・・・明治年間で一番えらい人」と荘田を絶賛し、「岩崎弥太郎(三菱の創業者)も渋澤栄一(500社以上の設立に関わる、日本資本主義の父)も、そういう点では、荘田に到底は及ぶまい」と評しています。

 尚、NHKスペシャル「沸騰都市」は今回の東京で一旦終了しますが、今まで取りあげた都市の「それから」として、金融危機後のドバイやロンドンなどの最近の様子を特別編としてまとめ3月に放送される予定だそうです。

|

« 沸騰都市(1) | トップページ | サヨリ »

つぶやき」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 沸騰都市(2):

« 沸騰都市(1) | トップページ | サヨリ »