江戸の鶴
現代の鶴は、北海道の釧路湿原に生息している丹頂鶴、山口県、鹿児島県に飛来するナベヅル、真鶴などが有名で、天然記念物にも指定されています。その他、日本に飛来する鶴には、黒鶴、アネハヅル、カナダヅルなどがいますが、いずれも希少動物として、保護されています。
しかし、自然が豊かで、動物と人間が共存していた江戸では、鶴はどこにでもいる水鳥で、食用にもなっていたほどでした。鷹狩りが大好きだった八代将軍・吉宗公が、享保十一年(1726)に下総小金原で鷹狩り行った時には、下総小金原(現・千葉県松戸市)で、鶴が捕れたと言う記録が残っています。もっとも、食用にしていたとは言っても、鶴はその神々しい姿からか、多くの領地で、禁猟とされている場合が多く、鶴を売りさばいて罪となった人々も多かったようです。徳川四代将軍・家綱公を生んだ「おらん」の父親は、下野国都賀郡高島村(現・群馬県下都賀郡)の農民で、江戸へ出て旗本屋敷に奉公していましたが、禁猟の鶴を売りさばいて、死罪になっています。娘のおらんは、たまたま、春日局の目にとまり、大奥で働くうちに、おらんの歌う田舎の麦突き歌が面白いと、三代将軍・家光公のお気に入りとなり、やがて、家綱公を身ごもったと言います。
それから、江戸では、毎年、新年になると、将軍自らが射止めた鶴を塩漬けにして、朝廷(天皇)に献上すると言う習わしがありました。江戸の初期は、将軍自ら、狩り場に出向いて、獲物を追っていたようですが、幼少の七代将軍・家継公(三歳で将軍就任、七歳で没)。や、身体障害が疑われる九代将軍・家重公などは、狩り場で鶴を射止める事は無理だったようで、江戸も中期以降になると、あらかじめ、係の方が鶴を飼育しておいて、その鶴に将軍が形式的に弓矢を射て、将軍が射止めた鶴として献上していました。
鶴は、地上に生息する鳥で、湿地で活動します。そのため、樹上に止まる事は出来ません(一部の鶴を除く)。伊藤若沖(いとうじゃくちゅう・江戸中期の画家。(1716~1800))画の「旭日松鶴図」を始めとする、日本の古い絵画にある「松上の鶴」と言う、鶴が松の木の上に止まっている構図は、現実にはありえない構図で、鶴とコウノトリを混同したものだそうです。
ことわざで「鶴は千年、亀は万年」と言われるとおり、鶴は長生きをする動物として知られています。まあ、本当に千年も生きる事はありませんが、動物園での飼育記録では、五~八十年も生きるそうです。野生の場合の寿命は、それより短く三十年程度と推測されていますが、それでも、他の鳥類より、はるかに長生きな、おめでたい鳥なんですね。
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