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江戸時代のお弔い事情

 当時の葬式は施主、家族、親類、知人が早桶(はやおけ=かんお け)を担って、自宅からお寺まで歩いていくのが一般的です。
会葬者には、一般には葬式饅頭が、施主が貧乏だと塩釜(餅米を砕いたものに、砂糖をまぜ、型に入れて打 ち出した乾菓子)や塩せんべいが配られます。施主が裕福だと、黒豆入りの強飯に精進物のがんもどきなどの煮染めが配られます。
お寺でお葬式があると、乞食が大勢集まって来て、施しを求めます。施主は 仏の供養のためと、配り物を乞食にも与えますので、配り物は会葬予定者の数より、多く用意するのが普通で、一人 で配り物を沢山もらって来るチャッカリ者も多かったようです。会葬者に は、通常お酒は出ませんが、手伝いに来た方にはお酒の振る舞いもあります。 

 江戸時代は、幕府の政策により、お寺は場末の地に多くありました。江戸 市中から葬儀に参列すると、ほとんど一日がかりで、さらに、吉原(浅草)、品川遊廓(品川)など、遊廓も場末にありますから、お葬式の帰りに、身を清める、などと言って遊廓へ遊びに行く連中が多くいました。
江戸川柳では、みんなその状況を詠んだものです。「弔いが山谷と聞いて親父行き」、山谷の近くには吉原があります。若くて独身の倅をお葬式に 行かせたら、帰りは当然、吉原へ。こりゃダメだと、親父が参列者として行 くと言う事(逆に、お葬式が山谷なら、帰りに吉原で遊べる。倅なんかに行かせてなるものか、俺が行く!と血気盛んな親父です。と言う逆読みも出来 ます。
「こりゃ事だ寺は山谷で七つ過ぎ」、七つ(現代の午後四時)過ぎに降る雨はなかなか止まない事から、中年になってからの浮気はなかなかや まない事を効かせたもの。「引導(葬儀の終わりに坊主が説く法語)が済む と魔堂(遊廓)へ引き込まれ」。「吉原へ廻らぬ者は施主ばかり」、さすがに施主はまだまだ残務がありますから、遊びには行けないようです

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