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旗本八万騎

 江戸では「旗本八万騎」なんて前述しましたけど、本当に江戸期、旗本は八万人もいたのでしょうか?大雑把に分類すると、徳川将軍の部下で、一万石以上の領地を拝領していれば大名。それ以下で、将軍にお目通りが出来て、馬に乗れる身分の方を旗本(騎乗できる身分だから、旗本は何人と数えず、何騎と数える)それよりさらに、禄が少なく、将軍にお目見え出来ず、馬に乗れない身分の方を「御家人と言うのですが、高禄の三百五十石を頂戴している旗本が八万人いれば、それだけで二千八百万石。年収八百万石の江戸幕府は、財政破綻してしまいます。それにつきまして、面白い話があります。

 享保二年(1717)の正月、前年度、八代将軍に就任した徳川吉宗公は、自分を将軍の地位につけてくれた、五人の老中にそれぞれ質問をしました。老中首座の土屋政直(七十六歳)には、「江戸城天守閣は、明暦三年の大火で焼失したままであるが、土台から、楼閣までの高さはどれほどであったか?」。井上正岑(六十五歳)には、「江戸幕府、一年の年貢収納高は?」。戸田忠真(六十七歳)には、「旗本八万騎と申すが、扶持米の支出から算出しても、それほど養えるとは思えぬ。実数は何人であるか?」。阿部正喬(四十六歳)には、「そなたの所領、武蔵忍城十二万四千石の正規の軍役は、鉄砲何梃か?」。久世重之(五十八歳)には、「江戸城全域の櫓の数は?」と言うもので、まともに正答出来た老中は皆無でした。

 思い付きの雑談の様ですが、吉宗公は、すべての質問の解答を事前に調べていて、五人の老中を試したのです。吉宗公が試算した「旗本八万騎と申すが、扶持米の支出から算出しても、それほど養えるとは思えぬ。実数は何人であるか?」の解答ですが、概算で、旗本五千数百、御家人が一万七千余、計二万数千人の幕臣に、戦時軍役の家臣(陪臣、槍持ち等)を加えると、優に八万人、と言うものでした。質問に答えられなかった老中たちは、己の無知無能、職務怠慢を思い知らされ、やがて、吉宗公に徐々に力をそがれ、政治の実権を奪われ、吉宗公の狙い通り、将軍直裁政権へと突き進むのです。残りの四つの質問の解答は、もう、紙面がありませんので、省略させて頂きます。

 始めて読んだ時、私が思わず吹き出してしまった江戸川柳です。「おびんづる地蔵の短気笑って居」、意味お分かりになりますか?諺に「地蔵(仏とも)の顔も三度まで」と言うのがありますよね。いくら温厚なお地蔵様でも、顔を三度撫でられると、怒り出す、と言う事ですが、おびんずる様は、撫で仏。いつも全身を色々な方に撫でられているのです。そんな、おびんずる様が、「お地蔵様は、三回撫でられただけで怒り出すなんて、ずいぶん、短気
な方だなぁ」と笑っているって意味になります。そう考えると、笑っちゃいますよね。

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