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水戸黄門

 ♪人生、楽ありゃ、苦もあるさぁー♪突然ですが、時代劇「水戸黄門」の
主題歌です。水戸黄門様、ご存知だろうと思います。ドラマ内では、水戸の
黄門様なんて呼ばれてますけれど、水戸黄門って、お名前じゃないんですよ。
あのお爺さんの正式なお名前は「徳川光圀」。「水戸」というのは、領地を
指していて、徳川御三家である「尾州(現・名古屋)徳川家」「紀州(現・
和歌山)徳川家」「水戸(現・茨城県水戸市)徳川家」の「水戸」ですね。

 

 では、「黄門」って何だか分かりますか?某大学史学科の卒業口頭試問で、
「水戸黄門の黄門とは何のことですか?」という質問に対して「天下の副将
軍です」と答えた学生がいたという、笑い話のような本当の話があります。
だいたい、江戸幕府の役職に「副将軍」という名称はありません。黄門とは、
唐名(中国での呼び方)で、日本での官職は「中納言」になります。江戸期
の官職については、雁風呂11/05/03の回でお話ししましたが、水戸徳川家の
当主が、従三位に昇進すると「黄門」と呼ばれるのです。

 

 水戸家で、従三位に昇進に昇進した方は、初代・頼房、二代・光圀(この
方がドラマで全国を漫遊して悪を懲らしめる方)、三代・綱條、六代・治保、
八代・斉脩、九代・斉昭、十代・慶篤がいますので、正確に言うと、水戸黄
門は、七人いるのです。

 

 では、なぜ中納言の事を黄門と呼ぶかと言うと、中納言の方は、自分のお
屋敷を建てる時、黄色く塗った御門を造る事が許されていたからんなですね。
「このお屋敷には黄色い門があるから、中納言様のお屋敷だ」とすぐ分かる
のです。で、その上の位の大納言は赤く塗った御門を造る事が許されていた
のです。

 

 本郷の加賀様とは、加賀(現・石川県南部)を納めていた、俗に加賀百万

石(実際は百二万二千石)と呼ばれる、前田家です。百二万二千石というの

は、江戸時代、徳川幕府を除いて、最高の石高です。藩祖の前田利家が長生

きしていたら、徳川家康は天下を取れなかっただろうといわれるほど、戦国時

代からの実力者の家系です。

 

 江戸も後期の文政十年(1827)十一月、時の十一代将軍・家斉公の二十一女
(家斉には五十三人も子供がいたのは有名ですね)溶姫(やすひめ、ようひ
め)が十五歳で、後に加賀藩第十二代藩主となる前田斉泰(なりやす・1811
~1884)に嫁ぎました。加賀藩では、将軍様のお嬢様をお嫁さんにもらえる、
つまり、将軍家と親戚になれるという事で、大喜び。すぐに、本郷の加賀藩
上屋敷に溶姫様ようの御殿が作られ、赤く塗った正門を建てました。これが、
現在の東京都文京区本郷にある東京大学の赤門なんですね。

 

 

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