千両ミカン
落語にはお金を題材にした噺がたくさんありますが、桂枝雀師匠の「高津の
富」(高津の富=現在の宝くじ)は次のような枕で始まります。
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お金は天下の回りもの。回りものと言いますからどこへでも回っていくのか
と思いますとそれが違うのだそうです。回る道が決まっているのでございます。
ルートがあるわけでございますね。
・・・ですからその道のニアバイ(すぐ近く)にいる人には回ってまいりま
すが、ファーラウェイ(遠く)にいる者には生涯かかっても回ってこんという
のがお金というもんやそうでございます。
お金というものは淋しがり屋やそうでございますね。あまり強いもんではご
ざいません。そりゃそうでしょう。わしゃ一番の大将やと威張っているあの1
万円札でもなかなか独り立ちはできないのでございます。一枚では立てません。
ですから例え二、三枚の1万円札を懐にしましたところでそれは仕方がない
のでございます。一枚や二枚では淋しいのでございます。もっと仲間のたくさ
んいるところへ、飛んで行こう、飛んで行こう。お金は、あるところへ、ある
ところへとどんどん集まるようにできているのでございます。
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と、こんな感じです。お金は淋しがり屋で、大事にしてくれるところ、仲間
がたくさんいるところへ集まるもので、その道筋にいない者には回ってこない
・・・たしかにその通りなのかもしれません。
「千両ミカン」という落語もお金にまつわるお話です。
ある大店(おおだな)の若旦那が日増しに衰えていくので、理由を尋ねてみ
るとどうしてもミカンが食べたいとのこと。若旦那の身を案じた番頭が方々を
探すのですが、あいにく真夏のことでありましたのでミカンはなかなか見つか
りません。
やっとの思いで取り置きがあるというミカン問屋にたどり着くと、提示され
た金額が1個千両。理由を問えば、夏場でもミカンを出せるよう、ミカン問屋
の意地にかけて大量のミカンをとっておくのだが、それでもほとんど腐ってし
まう年もあるそうで、腐ったミカンの山の中から1個だけ見つかったこのミカ
ンは、千両の価値があるのだとか。
店に戻った番頭が大旦那に相談すると、問屋の心意気に感じ入り、番頭に千
両箱を持たせ1個のミカン買いに行かせます。こうして手に入れたミカンを、
格別の感慨もなく10房のうち7房を食べた若旦那は、残りの3房を「おとっ
つあんとおっかさん、それにお前で食べておくれ」と番頭に渡します。
ミカン3房を手にした番頭は考えます。1個千両なら、1房で百両、とする
と今手にしているのは3百両になる。これだけあれば一生楽に暮らせると思っ
た番頭は出奔してしまったそうです。
1房百両で購入したミカンかもしれませんが、その金額で買ってくれる人が
いなければ百両を手にすることはできません。しかも時が経てばミカンは腐っ
てしまいます。
いつまでも価値が変わらないと思ってしまったこの番頭さん、我々にとりましても示唆に富むお話です。
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