ニューヨーク株式市場において、過去に何度も急落したことがある10月は
「悪魔がひそむ月」と呼ばれます。
ニューヨーク株式市場における10月の急落と言えば、世界恐慌の引き金を
引いた1929年の「暗黒の木曜日」もそうですが、1987年10月19日
の月曜日に発生した「ブラックマンデー」がよく知られています。
1985年9月、米国の財政赤字、貿易赤字のいわゆる双子の赤字を解決す
べく、ニューヨークのプラザホテルに先進5カ国の金融当局者が一堂に会しま
した。ここで、為替をドル安方向に誘導するとの合意(プラザ合意)がなされ、
それ以降、急激に円高・ドル安が進むことになります。
1987年のアメリカ経済は金融機関の不良債権問題等で停滞しており、一
方でドル安は資本流出とインフレ進行の危険をはらんでいました。景気の下支
えのためには金利を上げにくい状況で、反面、ドル防衛のために金利引き上げ
が必要であるという難しい舵取りを任された、当時就任したばかりのグリーン
スパンFRB議長は9月、ドル防衛策として金利引き上げに動きます。
金利の引き上げはドル安に歯止めをかけることが狙いでしたが、金利上昇が
投資と消費を抑制し、米国景気を悪化させてしまえばNY株式市場は下落し、
それがさらにドル安に拍車をかける恐れがありました。その場合、ドル安→資
本流出→金利上昇→景気悪化→株安の悪循環が懸念されます。
そうした悪循環が引き起こされることを市場が不安視しているところへ、当
時のアメリカ財務長官の「ドル安容認」発言が伝わります。
10月15日木曜日のNYダウは48ドルの下落、翌16日金曜日は108
ドル(約4.6%)の急落、NYダウは2247ドルにてその週を終えました。
土日を挟み主要先進国で一番早く開く株式市場が東京です。東京株式市場は
朝方から全面安となり、前週末比620円安の2万5746円で取引を終了し
ました。
東京市場が終わって13時間後に開く週明けのNY株式市場は、就任間もな
いグリーンスパンFRB議長の手腕が懐疑的に見られていたことや機械的に売
り注文を出すストップロス・オーダーが下落に拍車をかけ、2247ドルから
1739ドルへ、わずか1日で508ドル(22.6%)の大暴落となります。
これが世に言う「ブラックマンデー」です。先週末のダウを基準にしいます
と、わずか1日で約8000ドル下げたことになります。
株安の連鎖は世界を一周。20日の東京株式市場は売り注文が殺到し、日経
平均は25746円から21910円へ、一気に3836円(14.9%)安
の暴落となります(現在は日経平均株価の1日の下落率がそこまで拡大するこ
とはシステム上ありません)。東証1部上場の銘柄のほどんどがストップ安か
売り気配のまま値が付かないという惨状でした。
重要なのはその後の展開です。年が改まって1988年、日経平均は回復を
始め、年初に2万1000円台だった日経平均は上昇を続け、4月初めには暴
落前の高値(2万6646円)をも上回りました。その後も力強い上昇が続き、
もたついている欧米市場を尻目に日本株は独歩高の展開となっていきます。
そしてブラックマンデーからわずか2年後の1989年の大納会、日経平均
は3万8915円まで上昇し史上最高値をつけることになります。
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