「びんぼう自慢」
今と違って、昔の落語家さんが旅巡業に出ると、ずいぶん、悲惨な目にあうこともあったようです。
そんな苦労話を、昭和の三大名人、五代目・古今亭志ん生師の著書「びんぼう自慢」(立風書房刊)から
「宿屋荒らしと間違えられて」と題された一節を抜粋いたします。
『ひとり旅の苦労なんてえものは、そりゃァお話にもなにもなりゃしません。あたしゃ一文なしで、
名古屋から静岡県の掛川まで歩いたことがあるんです。いま汽車で通るてえと、
ほんの一時間ばかりだが、さて、歩くてえのはヒマがかかるもんですよ。
名古屋を発って二日目かなんかに、弁天島(笑助注:静岡県浜松市西区の浜名湖にある島)のとこまで来るてえと、
渡しがあって「渡し賃八銭」と書いてある。弱ったなァと思いながらひょいとわきを見るてえと、めし屋があって、
そこで酒ェ呑んで陽気にさわいている奴がいる。「すいませんが、ひとつ都々逸かなんか歌わせてください」
と声をかけたら、「あァ、いいよ」というから二つばかりトーンと歌ったら、十銭くれた。
天の助けとばかり、舟ェのったんです。舟の中では向こう岸につく前に、
渡し賃を集めに来るんだが、また天の助けという奴なんでしょうね。わたし
のとこだけ来るのを忘れて、スーッといっちゃった。「ありがてえな、どうも・・・・・・」
てんで、芋を二銭、せんべいを二銭買って、そいつをかじりながら浜松ま
で歩いて、そこに知った勝鬨亭という寄席があったから、いくらか貸しても
らって、また掛川まで歩いたんですが、何しろ焼けつくような炎天の下を、
腹をすかして歩くんだから、マラソンの選手よりなおひどいです。
宿があったから、そこへとび込んで、夕飯をガーッとかっ込んで、死んだ
ように寝ちまった。ふところには一文もねえことを、ちゃァんと心得ての上
だから、考えてみりゃァ向こう見ずの話だが、一応の心づもりはあるんです。
朝になって食事が出る。一粒のこらず平げて、そこで腹のできたところで、
肝ッ玉ァきめて、宿の主のところへ行って、「実は、そのォ、おあしがないんですが、
あたしゃ東京のもんだけど、帰ったらじきにお届けにあがりますから、しばらく貸しといてください」
と頼んだんだが、こんどばかりは天の助けてえわけには参りません。警察へつき出されて、
留置場てえのにぶち込まれてしまったんです。
そのころ、東海道に宿屋荒らしがあって、警察じゃァ、手ぐすねひいて待
っているところへ、あたしが来たから、「こいつだッ!」てんで、ポーンと
ほうり込んだんですね。何しろ、毎日炎天を歩いているから色はまっ黒けだ
し、食うものだって満足にゃ食ってねえから、目ばかり光って人相はわるそうにらまれ
たってしようがなかったのかもしれません。』
と言う事です。若き日の志ん生師は、こんな苦労をしていたのですね。ち
みに、この後、師は「東京でお前の落語を聞いた事がある」という検事さ
んに出会い、みっちり意見されて、宿代を立て替えてもらって、助かったそうです。
ご紹介した「びんぼう自慢」の改訂版が出たのは、昭和四十四年です。
その中で、師は名古屋から掛川まで、今なら汽車で一時間、と述べてお
られますが、現在のJRですと、新幹線に乗れば名古屋・掛川間は一時間程
ですが、在来線ですと、二時間くらいかかるようです。すると、昭和四十四
年当時、七十九歳だった師は、何回も新幹線か特急列車で、東京~名古屋・
大阪間を行き来した経験がある、という事になるのですね。日暮里の自宅で、
八十三歳で大往生するまで、後四年。晩年になっても、そうとうな売れっ子
だったことが偲ばれます。
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