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江戸の無礼討ち事情

 潔白な武士に、盗人の汚名を着せてしまったときは、無礼討ちとして、首を落とされても、文句は言えません。
現代のテレビの時代劇などでは、武士が「無礼者!」と叫んで、刀を抜いて、
無礼をはたらいた町人を斬り捨てる、そんな場面が見られます。江戸時代は
実際に「無礼討ち」が行われていたのでしょうか?

 

 江戸時代は封建社会で、士農工商という階級制があったから、最上位の武
士が平然と「無礼討ち」をしていたと思われている方も多いようですが、実
際にはさほど多くはありません。当時の一般常識として、武士が無礼を働い
た下士、町人、農民を斬り捨てても、「斬り捨て御免」でとがめられる事は
ないと考えられていました。江戸初期には明文化されていなかったのですが、
寛保二年(1742)に、八代将軍・吉宗公の命により、大岡越前さんが編纂した
江戸幕府の基本法典「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」のなかに、
武士は町人や農民から無礼を受けた場合、斬り殺したとしても罪にならない、と定められたのです。

 

 でも、武士が一方的に「無礼を受けた」と主張して殺してもよい、という
訳ではありません。「斬り捨て御免」が許されるのは、武士が名誉を傷つけ
られたという事を目撃した証人がいる場合に限られるのです。ですので、町
人を「斬り捨て御免」と言って無礼討ちにしても、証人がいないために、武
士が処罰された、という事例もあります。

 

 時代考証無視のテレビ時代劇に出てくるように、「斬り捨て御免」は武士
の特権と言って、自在に無礼討ちに出来るものではありません。特に、江戸
後期の寛政年間(1789~1800)以降は、たとえ無礼討ちで斬りつけても、とど
めを刺さず、立ち去る、というようになります。すると、その場合、当人や
親族に、斬った武士側から治療費が渡されることもありました。これは、た
とえ「無礼討ち」であっても、相手を殺すのが目的ではなく、武士として侮
辱を受けたために、名誉を守ろうとして反撃した、という形をとったからなのです。

 

 武士として、侮辱を受けておきながら何もしなかったら、武士としてある
まじき行為として、切腹が待っています。かといって、うかつに斬りつけれ
ば、治療代の支払いどころか、有罪になって、やはり、待っているのは切腹
という場合も。武士と言うのも、なかなか、気苦労が多かったようです。

 

 江戸時代、大名行列を横切れば、とうぜん「無礼討ち」で斬り殺されまし
た。殿様の面前であるし、大勢の目撃者がいますので、躊躇はいりません。
この日本の風習を知らなかったために、起こった事件がかの有名な「生麦事
件」ですね。では、久しぶりに江戸時代クイズ・。

 江戸時代、大名行列を横切っても、罪にならなかった職業があります。それは、次のど
れでしょうか、選んでください。正解は一つとは限りませんよ。

 

壱・けんかになったらかなわないからお相撲さん。弐・現場に急ぐ火消し。
参・呪詛されちゃうから山伏。肆・肥桶担いだお百姓。伍・男はどいてろ!
産婆さん。陸・悪口書かれちゃうから瓦版売り。漆・鮮度が命の魚屋。捌・
散らばったら匂いが!納豆売り。玖・速達配達中です飛脚。拾・刀の穢れに
なるから乞食。

 

 さて、お分かりになりますか?正解は、伍・男はどいてろ!産婆さん、と、
玖・速達配達中です飛脚、でした。いくら、江戸時代でも、大名行列にさえ
ぎられて、出産に間に合わず、母子共に死んでしまった、なんて、洒落にな
りません、人の命を取り上げる産婆さんは、大名行列を横切っても、お咎め
なし。また、飛脚は、幕府や有力大名などの至急文書、機密文書を運んでい
る可能性もあるので、後で面倒な事にならないように、こちらもお咎めなし
でした。江戸川柳「行列を割ったが婆ぁきつい味噌」、これは、産婆さん
(婆ぁ)が大名行列を横切った(割った)事があるのを、とても(きつい)
自慢(味噌)しているよ、という事。ただし、産婆さんも飛脚さんも、大名
行列を割ると言っても「どいた!どいた!」と、列に割り込むのではなく、
邪魔にならない、列を乱さない程度に「急ぎますんで、通してください。」
と、通り抜けさせてもらう、というものでした。
 

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