江戸の切腹事情
武士にとって切腹は「武士が罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖
(あがな)い、若しくは自己の誠実を証明する方法」とされ、「感情の極度
の冷静と態度の沈着となくしては」実行できない武士にふさわしい「洗練さ
れた自殺」だと考えられました。
当時は、死んで身の潔白を証明すると言う自死の考え方がありました。元
文四年(1739)に成立した岡山藩士湯浅常山の『常山紀談』に、こんな話が記
録されています。
『成瀬正成という方は、徳川家康の家臣でした。豊臣秀吉が大坂で馬揃え
をした時、紅色の轡(くつわ)をつけたたくましい黒馬に乗った武士がいま
した。秀吉があれは誰かと問うと、家康が「徳川家の士成瀬小吉なり」と答
えたので、秀吉が重ねて「禄はいかに」と問うと、「二千石を与えておりま
す」と答える家康、すると秀吉が「ああ、私に奉公すれば、五万石を与える
のに」と嘆息しました。その後、家康は成瀬を召してその事を話し、「秀吉
に仕えるか」とたずねると、成瀬は「これは情けなき事を仰せになります」
と答えました。家康が「いや、そうではない。秀吉に仕えれば、お前のため
によいだろうと思って言うのだ」と言うと、成瀬は涙を流して「不詳の身、
禄を貪(むさぼ)りて、主君を捨て奉らん者と思召(おぼしめし)けるを知
らざりけるも愚(おろか)に候。只疾(ただとく)自害して心をあかさん物
を【原文ママ】」(現代語訳=不肖の身にして禄を貪りながら、主君を捨て
るような者と思し召されているのを知らなかったのは愚かでした。ただ、早
く自害して心を明かしたい)』と言って、さっさと自害してしまったという
のです。
この話には、自分の真心を主君に示すためには腹を切って見せるしかない
という観念が窺えます。処罰としての切腹ではなく、潔白の証明という意味
の切腹が、当時は確かにあったのです。
己の行動に少しでもやましいところがあれば、切腹して果てた江戸時代の
武士。考え方によっては、いさぎよいのかもしれません(決して自死を勧め
るつもりではありません)。これが、もし、現代だったら・・・腹を切らな
ければならない(国会・県市町村議会)議員さん、お役人さんのなんと多い
事か。中には、五、六回、腹斬らないと収まらないようなセンセイも多々ご
ざいますようです。これを、江戸時代の武士が見たら、「我らが子孫のなん
と落ちぶれたることよ」と嘆いて、それこそ、切腹してしまうでしょうね。
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