平行線のコミュニケーション
さて、北京オリンピックは終わりましたが、ウクライナはどうなるでしょうか?先週のつぶやきで、国も人も平時からの対話・コミュニケーションが肝要であると書きましたが、そのコミュニケーションについて思うことがあります。
コミュニケーションを取る時は、どうせ分かってもらえないだろうと思って話すのではダメで、絶対分かってもらおうと思って話して、それでようやく何割かの確率で分かってもらえるものだと思っています。しかし一方、コミュニケーションを取って平行線で終わったら、それは意味のないコミュニケーションだった訳ではなく、或いはもうそれ以上話しても意味がないのではなく、平行線を確認するコミュニケーションを継続的に取ることも重要だと思うのです。
平行線のコミュニケーションも立派なコミュニケーションである。これは、外交を見ていると、多くの外交のコミュニケーションって皆こうではないかと思うのです。ところが平行線だからやってもしょうがないとコミュニケーションを途絶えさせると、有事に繋がっていくように私には見えます。そしてコミュニケーションにとってもう一つ明らかなこと、それはコミュニケーションの成果は、それに費やした時間に単純比例するということです。コミュニケーションに王道なし、ですね。
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