江戸の長屋事情
江戸川柳『箸と椀持って来やれと壁をぶち』。長屋住まいの気のいいご亭主が「今日は雨だったから、
隣の独り者は、仕事にあぶれて、夕飯が食えないだろう」なんて気をまわし
て、壁をトントンと叩きます。すると、隣の独り者、毎度の事で「やった!
今日も夕飯はご相伴にあずかれる」と、マイ箸とマイ茶碗を持参でノコノコ
やって来て、夕ご飯をご馳走になる。そんな風景を詠んだものです。
江戸時代の長屋は、「夕ご飯のおかずの差し入れ」ばかりではなく、自宅に招いて夕飯をご馳走してあげる、
そんな事が当たり前に行われていました。夏はどの家も開けっ放しですから、家の中は丸
見えですが、別に覗くヤツもおりませんし、誰もが気にもとめません。親が
留守の子供が、近所でご飯を食べさせてもらうのも、日常茶飯事。ちょっと
した物の貸し借りは当たり前。壁越しに「ちょいとおミツさん、切らしちゃ
たから、お醤油貸して」と叫べば、隣のおカミさんが、ヒョイヒョイとお醤
油持ってやって来てくれます。
長屋に体の不自由な一人者のお年寄りでもいれば、長屋のおカミさんが、
ローテーションで、三度三度のご飯を持って行きます。お互いに家の中の事
はお見通しなのですが、それでいて、無用なおせっかいという事はしません。
必要な時は助け合いますが、それ以外の時は、自分たちの事で精一杯ですか
ら、暇を持て余すなんて事もありません。親戚よりも身近に身を寄せて暮ら
し、お互いの家の事情はそれとなく分かっていますから、必要とあればお互
いに助け合い、必要がなければ干渉しない。それが江戸の長屋でした。
江戸の長屋の暮らしは、夜が明けると、治安のために夜は閉められていた
木戸が開きます。目が覚めると、住人は雪隠(おトイレ)へ行きます。長屋
には必ず共同便所が二つ、三つ並んでいます。朝はみんなが列を作って順番
待ち・・・と思うのは現代人。江戸時代のしゃがんで入る個室のトイレは、
扉の上半分が開いていて、中に人が入っていれば、頭が見えます。遠くから
でも分かりますので、自分の家の玄関からトイレを見て、空いた時を狙って
駆けつければOKです。
用を足したら、現在の歯ブラシにあたる「房楊枝(ふさようじ)」という、
割りばしほどの長さの木の先端を煮て割いて房状にしたもので歯を磨き、顔
を洗います。水道は無いので、長屋に一つある共同井戸から桶で水を汲んで、
自分の家の水がめに貯めてある水を使います。朝食は、ご飯さえ炊いておけ
ば、後は自宅の前のせまい路地へ、いろいろな手商人が天秤棒で品物を担っ
て売りに来ますので、納豆や漬物や豆腐、浅利にシジミにハマグリなど、適
当に見繕って、朝食の出来上がりです。それを食べて、五つ(午前八時頃)
には、大工など出職のご主人は出勤します。
お昼ご飯も長屋を訪れる手商人から購入して作り、ついでに、夕食のおか
ずも調達しておきます。長屋住まいの連中は、買い物に出かけなくても良い
ので、高齢者にも優しい社会です。お魚を購入すれば、魚屋さんがその場で
さばいてくれますので、アラなどの生ごみは発生しません。買い物客は、自
宅からお皿や鍋を持参して、買いに来ますので、包装紙もビニールパックも
発泡スチロールのトレーも不要です。
現代は、商店街が寂れてしまい、郊外の大型スーパーでしか食料品が調達
できなくなり、車を運転しないお年寄りが「買い物難民」と呼ばれる不便な
時代です。燃えるゴミ、燃えないゴミ、プラスチックゴミ、危険ゴミ、リサ
イクルゴミなどと、細かに分類しないと、ゴミも捨てられません。
江戸の長屋の住人の使う着物や紙は再利用と再生に使われ、下肥や灰は肥
料になって土に戻り、再び食べ物となって戻って来た・・・現代人のように
「SDGs=Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」なん
て叫んで、必死に取り組まなくても、江戸時代の方がはるかに便利で、地球
環境にも優しい面が多々あったのです。
(なんか、夕食のおかずの融通の話から、最後は話が飛躍しすぎちゃった)
| 固定リンク
« 世界各国の経済規模 | トップページ | 桜 »
最近のコメント