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江戸の「三男」

 江戸では「三男(さんおとこ)」と言いまして、与力、火消しの頭、そして、力士が女の
子にモテるベストスリー。しかし、残念なことに、江戸時代の女性は相撲見
物が出来ませんでした。女性が気軽にお相撲を見られるようになったのは、
明治以降になってからです。

 

 江戸の相撲番付での最高位は「大関」で、その大関の中でも特に優秀な大関が、奉納土俵入りをする時に、まわし
の上に「横綱」をしめて土俵入りをしたので、「横綱」とは地位ではなく、
日下開山(ひのしたかいざん)と呼ばれる大関の別称のようなものでした。
その最高位の大関に昇進すると、今まで所属していた部屋から引き抜かれ、
大名のお抱え力士になる者もあります。大名のお抱えになりますと、侍の身
分になり、「禄(お給料)」をもらい、二本差しを許され、家来も与えられ
ます。お抱え力士になると、自分の勝ち負けに、大名の面子がかかってくる
ので、土俵上は、現代のお相撲とは比べ物にならない程の真剣勝負で燃え上
がる事になります。

 

 よく「相撲見物に行って痣の一つもこせぇてこねぇようなヤツは男じゃね
ぇ!」などと血気盛んに江戸っ子は粋がり、土俵上の勝負だけではなく、客
席のあちらこちらで、贔屓の相撲取りの勝ち負けから喧嘩が勃発。死亡例ま
でありますので、何度か禁止令が出た程です。先程、「江戸時代の女性は相
撲見物が出来ない」と書きましたが、決して、男尊女卑ではなく、そんな場
所は、危なっかしくて、女性は立ち入らなかったのです。

 

 土俵の上にある屋根は、現代のように天井からワイヤでぶら下がる「釣り
屋根」ではなく、四本の柱によって支えられ、その柱には数本の刀がくくり
つけてあります。喧嘩が起きた場合は、親方衆が、その刀を引っこ抜いて、
仲裁に行くのです。大事な一番を裁く「立行司(たてぎょうじ)」も腰に刀
を差しています。なぜ、帯刀していたかと言いますと、大名の名誉にかかる
お抱え力士同士の対戦、間違った判定を下してしまった(今でいう「物言い
の為、協議の結果、行司差し違い」)場合、切腹してお詫びするためなので
す。江戸の行司さんは、今の行司さんとは大違い、命がけでの審判なのです。

 

 相撲は、「晴天二十日」と呼ばれる晴天興行で、客席は「葦簀掛け」、リ
オのカーニバルのようなスタンド席になっていて、興行前に組み立てて、興
行が終わると取り壊します。葦簀掛けで天井が無いので、雨が降ると、取り
組みが行われません。雨が多いと、二十日の取り組みが終了するのに、何か
月もかかることもありました。江戸川柳に「一年を二十日(はつか)で暮ら
す良い男」とあります。江戸での興行は二十日ですが、残りの日々は、今回、
お届けした噺のように、地方巡業に出かけます。江戸でもらう二十日分の給
金だけで、一年暮らしたわけではありません。今でも、「十両」という地位
がありますが、このお相撲さんは、一年で十両(現代価格換算約百五十万円)
もらいます。年俸制なのです。しかし、この他に、地方巡業での実入りや、
贔屓からの付け届けやらなにやかやで、実収入はそれをはるかに上回るもの
でした。

 

 

 

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