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江戸の「識字」事情について

 江戸にはご存知の通り、現代の小学校にあたる「寺子屋」がありました。
しかし、「寺子屋」とは寺院が教育機関を兼ねていた時代からの名称で、
主に関西方面での呼び方になります。江戸では、ものの売り買いをしない
教育機関に、商店のような「屋」の字をつけるのを嫌って、「手習い師匠」
あるいは単に「手習い」と呼びました。そこへ通う生徒も寺子屋では
「寺子・筆子(てらこ・ふでこ)」なのに対して手習いでは「手習い子」
でした。
 江戸時代の日本では、庶民の就学率、識字率ともに当時の世界最高レベル
に達していました。専門家が推計した結果では、幕末の嘉永年間(1848~54)
の江戸市中の就学率は70~86パーセント。もっとも、これは農村部も含めた
江戸府内全体なので、市中で生まれ育てば、落語に出てくるような裏長屋の
子供でも、手習いに行かない子供は、男女ともほとんどいませんでした。
 ところが、1837年頃(江戸の天保年間)のイギリスの大工業都市での就学
率は20~25パーセント。イギリス最盛期のヴィクトリア時代(十九世紀中頃、
江戸では化政期と呼ばれる庶民文化が花開いた頃)、ロンドンの下層階級の
識字率は10パーセント程度だったそうです。
 大革命下のフランスでは、1793年(江戸の寛政五年)に初等教育を義務化
し、翌年には授業料を無償化したのですが、十歳から十六歳の実際の就学率
は、なんと1.4パーセント!フランスで、1800年に婚姻届けで自分の名前を
署名できた人は37パーセント、しかも、自分の名前以外の文字を認識できた
かどうかは不明です。
 さらに、ロシアでは、1910年頃(日本では明治四十三年、その翌々年は大
正元年)になっても、首都モスクワの就学率が20パーセント程度。現代の
(自称・世界で一番豊かな国?)アメリカでは、外国からの不法難民の流入
などにより、識字率は80パーセント程度に低下しているという指摘まであり
ます。
 立派な制度を作っても、制度が立派な世の中を作ってくれるわけではない
ことを、我々のご先祖様はしっかり認識していて、自分たちの子供に、読み
書きを教えるのは、誰に押し付けられるものでもなく、当たり前のこととし
て、普通に行っていたのです。そんな当たり前の教育に恵まれなかった、
「無筆」さん達は、当時でもレアケースだからこそ、落語のネタにして、
アハハと笑い飛ばすことができるのですね。

 

 

 

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