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和 服

 私は世界で一番すぐれた衣類は「和服」だと思っています。今、世界の多
くの人々が着ている「洋服」は、それぞれのパーツが複雑な形をしている上
に、R(カーブ)が多くありますので、大きな布からパーツを切り取る時、
どうしても無駄が出てしまいます。それに太ったりやせたりすれば、体に合
わなくなるので、新たに体に合うサイズを購入しなければなりません。
 ところが、和服は、長方形の一反の布から、一ミリの無駄もなくきっちり
切り出せますし、仕立て直しも簡単に出来ます。そして、巻き付けて体の前
で合わせるという着方なので、太ってもやせても同じ物を着続けることがで
きます。デザインや模様に飽きてしまったら、染め直せばまるっきり新しい
着物になります。そして、着物用の布は幅が狭いので、いざとなれば、私の
ような素人でも織ることができます。「洋服」に比べて「和服」は良い所だ
らけなのです。
 江戸の日本橋富沢町は、江戸開府当時に『古着の町』として徳川家康公の
免許を受けました。現在でも、東京の繊維業の中心が日本橋堀留町から大伝
馬町、小伝馬町あたりに集中しているのは、江戸開府依頼の四百年以上の伝
統によるものです。千年の古都である京都に比べれば東京は子供のような若
い都市ですが、それでも、二、三百年の伝統を背負っている町はいくらでも
あります。
 『古着の町』と前述しましたが、江戸時代は、古着が衣類の主流でした。
当時、布は全部人の手で織るしかなく、生産力が限られていたのです。大正
十五年(1926)に豊田式自動織機が発明されて、やっと日本では古着が主流で
はなくなったのです。一本ずつ横糸を手で打ち込んで織る古典的な方法では、
新しい布を国中に行き渡らせるのは無理でした。それに、当時の日本で、絹
糸はほとんどが中国からの輸入品で、黄金の国ジパングと呼ばれるほど有数
の産金国だった日本で、江戸時代以降に算出した金の四分の一は、絹の代金
として外国へ流出したとも言われます。
 江戸期、古着ではない、着物用の布を売るお店には「呉服・太物」という
看板が出ていました。呉服は絹物、太物は木綿物の事で、着物の生地(反物)
を売るだけで、着物の形になっている既製品は売っていません。呉服屋さん
で反物を買ってきて、それを仕立て屋さんに持っていき、着物に仕立てても
らいますので、結構割高になります。江戸時代の日本で、いつも新品の呉服
(絹の着物)を着られるのは、よほどの金持ちだけです。
 時代劇を見ていると、江戸時代はずっと同じデザインの着物だけを着てい
たような印象を受けますが、本当はファッションの流行もあります。丸やら
三角やらを自在に組み合わせて作る現代の服に比べると、形がほとんど決ま
っている着物は、形の上では、微妙な変化しか表現できませんでしたが、模
様と色でファッションセンスを争そったのです。今の若い女の子が「カワイ
ー」と言って飛びつくような、けばけばしいものは「野暮」と言って嫌われ、
紬、縞、格子、小紋などの幾何学的で「意気」な模様が好まれました。
 江戸人は、現代人では区別できないような、微妙な色の変化もファッショ
ンの一部として取り入れました。二代目・瀬川菊之丞(俳名・路考)という
人気役者が舞台で着た衣装が受けて、その緑と黒を帯びた茶色は「路考茶」
と呼ばれ、一世を風靡しましたし、「梅幸茶(ばいこうちゃ)」「芝翫茶
(しかんちゃ)」「璃寛茶(りかんちゃ)」などの茶色系の色合いは、いず
れも歌舞伎の人気役者の好みの色で、自分の贔屓の役者の色でビシッと決め
るお洒落さんも大勢いました(孝行糖05/02/01の与太郎さんの着物も璃寛茶
と芝翫茶でしたよね)。
 今では「グレー(鼠色)」一色で済ませてしまう色も、千草鼠(ちぐさね
ずみ)、納戸鼠(なんどねずみ)、浅葱鼠(あさぎねずみ)、藍鼠(あいね
ず)、紺鼠(こんねず)、藤鼠(ふじねず)、葡萄鼠(ぶどうねず)、梅鼠
(うめねず)、深川鼠(ふかがわねず)、利休鼠(りきゅうねずみ)、素鼠
(すねずみ)、灰色(はいいろ)、灰汁色(あくいろ)、鉛色(なまりいろ)、
鈍色(にびいろ)など、俗に四十八鼠(しじゅうはちねず)と言われるほど
種類があり、一人前の染め物の職人さんは、色の名前を言えば、ちゃんとそ
の色に染め分けてくれました。

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