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擬宝珠舐め

 話中の浅草寺の「五重塔」ですが、最初の塔は慶安元年(1648)建立で、本堂と同様、
関東大震災では倒壊しなかったのですが、昭和二十年(1945)の東京大空襲で
焼失してしまいました。現在の塔は昭和四十八年(1973)に再建されたもので、
その高さは約48メートルといいます。若旦那は足場を組んでそんな高い所
へ登ったのですね。
 お父っつぁんが擬宝珠を舐めた「眼鏡橋」とは、現・長崎市にある石造二
連アーチ橋ではなく、現・千代田区神田須田町一丁目と外神田一丁目を結ぶ
万世橋の事で、その前身は、やや上流のあった筋違橋(すじかいばし)。明
治六年(1873)に洋風石造りの眼鏡橋に架橋されて評判になりましたが、明治
三十九年(1906)に撤去され、やや上流に鉄橋として架橋されました。現在、
かかっているのは、昭和五年(1930)にもとの筋違橋付近に架橋されたもので
す。その味の「清心丹」とは、明治八年(1875)に発売、その後大正から昭和
にかけて多くの方に愛された、懐中保健薬の草分けで「胃腸を健全にして消
化を助ける」という効能のもの。
 おっ母さんが舐めた「駿河台のニコライ」とは、現在でも、東京都千代田
区神田駿河台に現存する正教会の大聖堂で、正式名称は「東京復活大聖堂」。
「宝丹」とは、文久二年(1862)、江戸池の端の守田治兵衛店から売り出した、
赤褐色の湿潤性粉末の気付け薬で、頭痛、はきけ、めまいなどに用いました。
 「京都の三条」とは、現・京都市に一級河川の鴨川に架かっている三条通
の橋。最初に橋が架けられた時期は室町時代といわれ、天正十七年(1589)、
豊臣秀吉の命により五条大橋と共に石柱の橋に改修され、江戸時代には東海
道五十三次の西の起点となります。
 「京橋」とは、現・東京都中央区の地名で、旧京橋区に当たる京橋地域内
に、かつて存在した京橋川に架けられていた東海道の橋。「新橋」は、現在
の中央区銀座八丁目と新橋一丁目をつなぐ橋で、汐留川(新橋川)に架かっ
ていました。「神田(橋)」は、現・東京都千代田区を流れる日本橋川に架
かる日比谷通りの橋で、右岸は大手町一丁目、左岸上流側は神田錦町二丁目、
同下流側は内神田一丁目となります。

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